こんにちは。
とーーってもお久しぶりです。2年以上ぶり(><)
書き出しがいつも似たような文になってしまって申し訳ないです(^^;)
この書いてない間、やはり色々なことがありました。
6月に父が天国に凱旋しました。
こちらのブログではほとんど詳しく書いていませんでしたが、
父はもう4年近く入院していました。
晩年は認知症も進み、わたしのことは顔を見ただけでは誰だかわからなくなっていましたが、
ほら、長女・・ふ、で始まる名前だよ~というと「ふーちゃん」と最後まで思い出してくれました。
そんな父は戦後の青年時代、カトリック教会に行っていたことがありました。
戦後で貧しい医学生。食べるものもなかなか手に入らず、背も高かったのでいつもひもじかったそうです。
そんな父が何かのきっかけでカトリック教会に導かれ、優しい神父様にとてもお世話になったと、何度か聞きました。
その出会いの中でイエス様を信じたとか。
でも時は流れ、すっかり教会から離れ、信仰からも離れた父・・。
結婚して私たちが生まれ、長い年月を神様から離れて生きていた父は、
今年初めあたりから、再び主と出会うことができたようです。
そのきっかけはよくわかりませんが、以来神様に話しかける、またずっと話し続ける父の姿がありました。
父の枕元で、賛美歌をよく歌ったり、イエス様の話をしたり・・その時は特別うれしい反応はなかったのですが、
のちに再び立ち返る時が与えられたことは感謝でしかありません。
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることを皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
(伝道の書3章1-11節)
ちょっと長い文章でしたが、ここはとても有名な旧約聖書からの引用です。
これは真実です。
読めば読むほど、ここに書いてあること以外のことはないと思います。
そして、父もまた、神様の定められた人生の幕を下ろす時を迎えました。
でも、その前に再びイエス様に出会いました。
母は、病院のベッドの中にいる父が神様に向かって呟いていた次の言葉を繰り返し聞いていました。
「神様ごめんなさい。神様感謝します。
禎夫はそちらに参ります。」
ハレルヤ!
こんなにストレートは悔い改めと感謝の言葉はご聖霊様の導きとしか言えません。
そして父は信仰のバトンを母に引き継いで、イエス様のもとへ一足早く走っていったのでした。
そんな父とのお別れのあと、母は長い介護疲れと父との別れの寂しさに、体調のアップダウンがありました。
しばらくは私の家に来たり、また家に戻っていったり。
今は弟の家からすぐに自宅で一人暮らしをしています。
そんなこともあり、わたしの日常もいろいろありましたが、
この度やっと長年の夢!ショップオープンに漕ぎつけることができました。
今夜9時。インスタグラムにて、ポストカードやステッカー、ブックマークなどを販売します。
・・・って、このブログも皆さんにお知らせしてないので(汗)
ひそかに覗いて下さってる方がいらっしゃいましたら、どうぞ行ってみて下さい
instagramのutautane.shopで検索してくださいね。
みことばには力がある。。。を信じて、これからの歩みを全て主イエスキリストに委ねます。