天国へ

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教会のある兄弟が土曜日の朝、天に召されました。
今はもうこの世にいない兄弟・・・。
この夏空の遥か上に。
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イエスさまと一緒に、わたしたちを見守って下さってると信じています。

一昨日は前夜式(仏教ではお通夜にあたります)、そして昨日は告別式。
全てが教会で行われました。

キリスト教では、クリスチャンの「死」は肉体の死にあたります。
そこから、本当の意味での「霊」においての新しい歩みが始まるのです。
そして、肉体を離れた私たち(兄弟)の霊は、イエス様と一緒に、天国で永遠のいのちとなります。

告別式は、それはそれはとても祝福のうちに終わりました。
最期の、肉体にあった苦しみ(兄弟は脳梗塞からくる後遺症から、じき身体の自由が利かなくなり、
しまいには寝たきりになっておられました)から解放され、ご家族みんなに囲まれる中、息を引き取ったYさん。
一切の延命治療を拒否され、本当に自然に、自然に神様の時を待たれました。
水を一切口にされなくなってから10日あまり・・・その間ご家族は片時もYさんから離れず、
みなさんでYさんに今までの感謝の言葉を語り、また祈りを捧げ続けられたそうです。


わたしも、いずれ来る自分の「死」について、とても考えさせられています。
Yさんのように、天国に凱旋できたら。
自然に神様のもとに逝きたい・・・。
最期の最期に私のために(告別式に)集まってくれる家族や友に、それまで神様の愛が伝えられるか、等。


クリスチャンの死は、当人にとっては喜び・・・・・の時となれば素晴らしいですね。
なぜなら、死人に中から復活されたイエス様を信じる者は、
イエス様と同じように復活し、永遠の命を持つからです。
でも、ご家族を亡くされた悲しみはクリスチャンも一緒。
とてもさびしいでしょうし、心の中にポッカリ開いた穴は、そう簡単に埋まるものではありません。
でも私達には、いつかまた天国で再会できる希望があります!
ですから、「ちょっと待っててね。いつかまた会う日まで」と、そう言えたらいいですね。


わたしの最期の時は神様がお決めになること。
ですから、その日まで精一杯、与えられたいのちを大切に歩みたい。
そう改めて思いました。気を引き締めて、小さな一歩でも確実に主とともに歩みたいです。


最後に、キリスト教会の葬儀について、今回教会でお配りしたプログラムに書いてある説明をここに転載します。
そうすることで、私の拙い日記文で誤解をされる方がありませんように・・・・との願いがあるためです。






          葬儀参列者の皆様へ



救い主、イエス・キリストの祝福をお祈り申し上げます。

キリスト教会での葬儀について

 天と地を創造されたまことの神様によって私達人間は造られました。
私達は神様によっていかされている間、神様の御旨に従い、互いに愛し合い、神様に喜ばれる道を歩むべきであります。
 しかし、自己中心で罪深い私達は、創造主で全能であるまことの神様を礼拝しない、自分勝手な生活をしております。
 神様は完全に正しいお方ですから、私達の罪を憎まれますが、その深い憐れみによって私達を愛し、イエス・キリスト様の死によって全ての罪をゆるし、永遠の生命をお与え下さいます。
 ですから、全能の生けるまことの神様を信じているキリスト者にとっては、死はおそれるべきではなく、永遠の神の国への入り口なのです。
死人の中から復活されたイエス・キリスト様を信じる者はキリスト様と同じように復活し、永遠の命を持つからです。


キリスト教会での葬儀では、
 死者を礼拝したり、死者に語りかけたりはしません。
人は死んでも神様にはなりませんし、私達は唯一のまことの神様だけを拝むべきだからです。
 私達は故人を神様の愛と公平の御手に委ねる祈りと、故人の、神様に対する信仰を学ぶ事によって故人を偲び、故人に対する敬意を表します。
 故人の生活を導き救われるまことの神様を拝み讃美することと、遺族の方々への慰めと励ましがキリスト教会での葬儀の中心です。
 参列者には、自分自身の人生を反省し、死に対する備えをする機会です。


「人には一度死ぬ事と死んだ後、神の前で捌きを受ける事が定まっているからです。」(聖書)

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by poomingxxx | 2010-07-22 14:27 | 信仰~こころの内側