試練が感謝に変わるとき・・・

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数日前の夕陽の写真です・・・これからの季節はこんな空が増えてくるんですね。
うれしいなぁ。

そういえば先日この空を見ているときに思い出していました。
2006年夏のこと。長女が体調を崩し、毎日本当につらくて・・・泣きたくなるとリビングのこの窓から広く見えるこの空を見上げ、張り裂けそうな思いで祈ったものでした。当時この窓を下から見上げるところに住んでいるご夫婦は、「ほら、また〇〇ちゃんママ、空を見てるよ。大丈夫かな?」と話し合っておられたそうです。(のちになって教えてくれました。このご夫婦にはお姉ちゃんの入院中には下の娘たちを預かって頂いたり、本当によくお世話になりました。)

もうあれから5年も経つんだなぁ・・・と、今日はどっと色々な過去の思いが押し寄せてきています。
私にとっては人生を大きく変え、信仰を改めて問われた娘の病気。
本人はもとより家族にとってもそれは本当に苦しい出来事でした。

私は当時すでにクリスチャンだったので、頭の中では娘の病気を「神様からの試練」と受け取りましたが、
果たして本当にそれを試練として受け取っていたかは自信がありません。
一生懸命そう思い込もうとしていましたが、心の中ではいつも「なんで娘が?何でうちだけこんなに苦しいの?」と、そんな思いが渦巻いていましたし、娘の周囲の、娘を苦しませた子供たちが楽しそうに学校に行く姿を見るだけで憎憎しい思いが沸いたり、またそんな自分が嫌で落ち込んだり。
でも心の底ではいつも神様を求めていました。

情けない自分のそんな罪のためにイエス様が十字架に架かられた・・・・
それを信じて、口で告白してクリスチャンになったのに、実際に苦しいことや困ったことにぶつかった時、
痛みばかりを見て、イエス様に委ねることができませんでした。

でも、今はそのころと心の中がずいぶん違います。
その理由はいくつかあるのですが、神様の、娘の上にある業を見せていただいたことが一番大きいかな(^^)
何か問題や困難にぶつかった時、やはり驚いたり悲しかったりはするのですが、
不思議と心の奥底が平安のままなんです。


当時暗いトンネルの中にいると思っていた時、すでに娘には将来の夢との出会いが与えられ、
今その夢に向かって日々を守られ前に進んでいます。
そしてそれは私の、夫の、家族の祈りが聴かれたことでもありました。

そのときの状況だけを見ると不可能に近い、と人間的には思ってしまうようなことが、
のちに現実になっている!
神様を身近に感じた時でした。
これは本当にわたしたちの力ではなく、神様の御業です。
これを体験してしまったのです。


だから今の「私の“苦しい”」もいつかは「あの時があったから今がある!」と言える過程に過ぎないと、
そう思えるのです。
神様のされること、神様の与える時に無駄なものは一切ないんだなぁと・・・・
だから「今」を大切に生きないと・・・と思います。


次女のときもそう。
次女の心の内を分かっているつもりでまったく理解できていなかった私たち夫婦。
そのため次女の心が家を離れ、行き場を無くして彷徨っていた日々。
お互い本当は心から好きなのに、愛しているのに反対方向に向かう関係。
苦しかったです。
でも、あの苦しい時があったから今のいい親子関係がある。
あの時神様にしがみついていてよかった。
やはり、神様の「時」に無駄はないのですね。



この5年のあいだ・・・・長女が病気になったり、次女の心が荒れて家庭の中に長いこと嵐が留まっていたり、と言葉にするとたったこれだけですけど・・・・「もうダメかも」と思うような、心がくじけそうになったり折れそうになるようなことがいっぱいでした。
でも同時にころくとの出会いがあったり(♪♪♪)夫がイエス様と出会い、クリスチャンになったり・・・そして長女も次女もそれぞれの居場所が与えられてそれなりの葛藤がありながらも前に向かって進んでいます。
またこういう家庭でどういう風に育つのだろう?と本当に毎日祈っていた三女が、3姉妹の中では一番しっかり信仰に立つクリスチャンとして育っているのも、神様の愛のおかげです。
そして私も色々なことを通して成長させて頂ける・・・・だからやはり感謝なのです。


毎日、庭のお花の手入れをしていて思うのですが・・・この時季からは雑草との戦いですね。
私の心の中に浮かぶ「罪」な気持ちも、庭に次々に生える雑草のように絶えることがありません。
でもその都度神様に「なくしてください」と祈って、私のために死なれたイエス様を思い、
私の罪をその十字架に架けて、あとは祈って委ねつつ・・・毎日の出来事、出会いを大切にしたいと思います。



今日は最後に苦しいと思うときにいつも読み返す聖書の箇所を紹介して終わります。






わたしの子よ
主の訓練を軽んじてはいけない
主に責められるとき、弱り果ててはならない

主は愛する者を訓練し
受け入れるすべての子を
むち打たれるのである

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい
神はあなたがたを 子として取り扱っておられるのである
いったい父に訓練されない子があるだろうか



すべての訓練は 当座は 喜ばしいものとは思われず
むしろ悲しいものと思われる
しかし後になれば それによって鍛えられる者に
平安な義の実を結ばせるようになる

   
   (ヘブル人への手紙12章より)
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by poomingxxx | 2011-05-17 10:31 | 信仰~こころの内側