ブドウの成長

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我が家の中2生(三女)の描いたブドウの絵。
上が去年の今頃、そして下は今日描いたものです。

どちらも絵画教室で描いてきたものですが、
その先生は、

「Fっきー(三女のことです)の絵も成長したね。
1年で大人っぽい絵になってきたね。」

そうおっしゃったそうです。
その言葉を胸に絵を見てみると、確かに作る色や色の重ね方が去年とはだいぶ違っています。
それがどういう意味になるかは私には分かりませんが、こうして娘の成長を絵の上に見ることができて
とても参考になりました。
まさしく、神様が娘を育てて下さってるのですね。



さて、私はここのところ三浦綾子さんの本を立て続けに読んでいます。
「道ありき」
「この土の器をも」
「光あるうちに」
どれも、三浦さんが信仰に導かれるいきさつや、その後の結婚生活、さらには信仰を深められた頃のお話が
とても分かりやすい文章で書かれています。

何度も何度も読み返している本ですが、
読む時のわたしの状態によって、この本は心に響く場所が違います。
今は祈っている友人数人のことがずっと頭から離れずにいるので、結婚生活や子供との暮らしを思いつつ、
この3冊を読みました。


もちろん、まず一番初めに迫ってくるのは、やはり自分の日々の生き方の姿勢で、
聖書に、「あなたは、冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない」(ヨハネの黙示録3章15節~)
・・・とあるように、口から吐き出されないように、気づいた反省点を悔い改め、そして神様に求めていく必要を感じました。


三浦さんの「光あるうちに」の中に、こんな言葉があります。

 一体、わたしたちの人生に、何が一番大切なことなのか。

人間にとって、なくてはならぬことは何なのか。 

毎日を、不要不急の雑事にとりまぎれて、なすべきことを忘れて生きてはいないか。

ある日、わたしたちは、そう立ち止まって考えてみなければ、自分の姿がわからないかも知れない。




この文は昭和46年に書かれたものです。この、40年以上も前に書かれた言葉は、
決して色あせずに現代のわたしたちにも問いかけています。
三浦さんのこの文には続きがあって、そこには何が一番大切なことかの答えももちろんありますが、
ここには書きませんので、どうぞお知りになりたい方は本を読んでみて下さいね。


私は娘を失いそうになったことがあります。
そうすると、「生きていてくれる」ことが最優先で、あとはもうどうでもよくなりました。
成績がどうでも、人付き合いが下手でも、〇〇できなくても、xxしてしまっても、
いま娘が生きていることが感謝です。


そう思うと、家族が与えられてる今、
子供のことで悩んだり、悲しい思いをしたり、夫とのことで自己嫌悪に陥ったり・・・毎日のそうした出来事も、
すべてが感謝に変わります。
すぐにそうした感謝な思いを忘れて、目の前の出来事に文句を言ってしまう情けないわたしですが、
やはり目はいつも神様を見上げていたいな~。
「生きている」のではなくて、わたしは「生かされている」・・・。


今朝の祈祷会で副牧師先生がおっしゃってた言葉に、はっとしました。
いつも私は「神様はわたしたちを愛して下さってる」と、まるで判を押したようにくり返して言いますが、
「この宇宙を造られた神様が、全身全霊を持ってあなたを愛して下さってるのです」
こう聞いたときに、畏れで体中鳥肌が立ちました。
それはキリスト者(クリスチャン)であっても、なくても、全く同じように「神様は愛して下さってる」のです。


いま、悩みをもっておられる方、
心がどん底に陥っていると思われてる方、
生きる希望がないと思われてる方、
楽しいことをしているはずなのに、心の中が虚しい・・・そんな方が神様に出会えますように。



明日はまた礼拝です。
喜びをもって、神様を讃美し、礼拝を捧げたいと思います。

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≪青梅あけぼのキリスト教会≫
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by poomingxxx | 2011-09-10 16:45 | 信仰~こころの内側