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ただ感謝

こんにちは。ちょっと久しぶりの更新になってしまいました。
長女の実習に伴い夜が遅くなったり(日誌を書いている横で何となく完了するのを待っていたり・・・)、早起きしたついでに(お天気もよかったので)夏のものの洗濯をしまくったりしてました。
元気に動き回っています(^^)


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上の写真は玄関の模様替えでちょっと秋らしくしたもの・・・茶香炉を焚くため玄関がいい香りです。


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でも更新が遅れた一番の理由は、カレンダーを作り始めたら自分自身と向き合う時間が増えたことでしょうか。あ、毎年そんなこと言っているのかもしれませんね。
でもこれは本当のことで、ものすごく嬉しいことなのです。
どう言ったらいいのかなぁ・・・神様との時間がさらに「密」になる感じ!というのがいいかな。


今年もやはり「御言葉選び」に苦戦しています。
だって、聖書の、どこの箇所をとっても意味のあることですからねぇ。
とは言ってもいきなり文章の途中で、短い一節を引用しても前後がなければ分からないところもあるので、
・短い言葉で
・心に鋭くつきささるもの
・クリスチャンでなくても何となく分かりやすい
・でも思わず聖書を読んでみたくなる
・・・そんな御言葉を・・・、そして過去7回作ったものとなるべく重ならないように・・・。
この条件を満たすもので、今私に示されるもの・・・・


こんな未熟な私ですから・・・。
もうそれは膨大な量から「ピピピ」と来たものをピックアップし、並べ、12にしぼって、
しぼれたらイラスト!
ああ・・・神様、どうぞもっと私をフルに用いて下さい・・・。


さて、そんな現状の中、いま私が示されていること・・・
それは「神様の赦し」のことです。
イエス様はわたしたち人間のいっさいの「罪」を背負って十字架に架かられました。
私の罪を神様に赦してもらうために、一人の人が死んでくださったのです。

自分のために命を捨てて下さった。
イエス様は命を捨ててまでして私の罪を肩代わりしてくださったのです。
さらに言い換えれば、
イエス様が命を捨てないと肩代わりできないほどの「罪」を、私は持っているのです。


教会の週報のほうも読んでみて下さいね。(9月25日の週報メッセージや、その前の週などをごらん下さい)
自分の中の罪は、自分から見ようとしないと中々見えないものですし、うっかりすると「良いこと」をしたと思っている中に、罪が入り込んでしまうことがあります。(私ってすごいでしょ?私がやったのよ・・・などとね、自分を誇ってしまうのも罪、と聖書には書いてあります。)


これらの罪から、すでに私たちは「赦された」と聖書にはあります。
それは「イエス様の十字架の死」によってです。
最期、イエス様は十字架の上で自分を十字架に架けた者の赦しを乞うて神様にこう言われます。
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」


唯一。ただ一つ、イエス様の愛の死に応える道があります。
それは、「信じること」。
いまも、毎日の暮らしの中で、あたかも平安に、善良に暮らしていると自負するその思いの中に、数限りなく罪を重ね続けている私・・・。
そんな私が、唯一見る希望が「イエス様」です。
十字架の死と復活を「信じる」ことから、「暗いトンネル」の中でも光を見ることができます。
神様の赦しの中に身を置いていられることの、なんと心が安らかでいられることでしょう。


これを、多くの人にも味わっていただきたい(体験そして実感していただきたい)と思っています。
キリスト者(クリスチャン)になるのって、いい人でないとダメ?・・・そんなことありません。
自分の罪に気づいた人が、その罪を委ねて、自分のために死んで下さったイエス様に感謝して、
共に歩みたい、そう思うだけでいいのです。
今現在、イエス様を信じてない、と言い切る人の上にも、神様の恵みは豊かに注がれ続けています。
ただ気づいていないだけでしょうね。
そして、「信じる」を通過したときには、きっと、ものすごく、驚くほど!
神様の愛を受けていることを実感することでしょう。



・・・と、こんなことを考えていると、どんどん時間が過ぎてしまい、
ブログ更新することを忘れてしまうのでした。
by poomingxxx | 2011-10-05 17:59 | 信仰~こころの内側