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風船蔓からドイツへ

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庭の風船蔓を収穫中です。
まだまだこれの倍くらい緑色になっていて、しかも赤ちゃんのような小さな風船もつけてます。
一体いつまで収穫が続くのでしょう。

先日夜、夫と風船蔓から種を取り出しながら話をしました。
そんな夜ってすごく楽しい。
いつもは深夜近くに帰宅する夫ですが、その日は9時過ぎの帰宅。(駅までお迎えです)
ゆっくりご飯を食べてた夫の横でひたすら黙々と種取りしてる私。
こういうのって楽しそうに見えるらしく「俺もやろうかな」と・・・・・(^^)

会社での話、子供の話、教会の話、両親の話、思い出話。
特にお互いがドイツに居た時の話は盛り上がります。
1年ずれて行ったのですが、彼が行ったのは1989年1月。
私が行ったのは1990年1月。・・・・この違いの意味、お分かりですか?
そう、私が行ったのはベルリンの壁が崩されてから、彼はまだ東西ドイツが統一される前。

2人とも外国学部のドイツ語学科に在籍していました。(彼は1学年先輩です)
4年間のうち、だいたい3年生くらいが終わる頃、少しはドイツ語も話せるようになるので学生は休みを利用して本場ドイツに行く人がたくさんいます。
彼も私もそんな学生でした。

彼はドイツ語を学ぶ学校の短期コースに。ホストファミリーもあり、そこから通ったそうです。
場所はRothenburg(ローテンブルグ)、ロマンティック街道の起点・・・でも本当に何もない田舎だったそうで、国内にはレンタカーで週末繰り出し、色々見て回ったとか。

私は、もともと日本で学生通訳ボランティアをした時に知り合ったドイツ人の家を転々と泊まったり、またゼミの先生の友人がドイツにいるとのことで、その人のお家でお世話になったり・・・ふらふら好きなところを一人で巡り歩いた2ヶ月でした。(今思えばすごい行動力でしたね・・・ホテルなどには一切泊まらず・・・現地で知り合ったカナダ人とユースホステルに泊まったり・・・友人とそのまた友人の家に泊まったり・・・若かったなぁ~~)



「私がベルリンに行ったときは、壁はもう崩されていて(とは言ってもまだ残っていたのですが)、東側に行くと壊れた壁を細かく砕いたのを売ってたよ~。お土産に買ってきたし~」(←ずっと東西ドイツ統合について勉強していたのですごく歴史的価値のあるものと思ってました。弟か誰かにあげたけど、まだ持ってるのかな?今度聞いてみよう・・・)

「俺は東ベルリンにも行ったけど、ポーランドにも行ったな。
アウシュヴィッツには参ったな。気持ちが沈む場所だったよ」

「私はアウシュヴィッツは行かなかったけど、ダッハウの収容所に行ったよ・・・・」



お互いそんな話を、可愛い風船からハート柄の種を取り出しつつ延々2時間以上・・・。
いつの間にか種はなくなり、コーヒーもなくなり、気付いたら夜の12時過ぎ。
秋の夜長ってこんなことを言うのでしょうかね~~。


あーーー。どこか行きたいな。
夫とのドイツは、きっともっと楽しいだろうな・・・(彼は歴史などの日本語説明ガイド役♪)
彼にとってもきっとね♪(食べ物の由来や説明つき。芸術系を観た時の大げさな感動の声つき♪)
いつかそんな日が来る・・・・そう信じて、その日のために健康に気をつけていきたいと思いました。


*追記

私の場合、2ヶ月で往復費を含め、かかった費用は全部で約20万円でした。航空運賃が往復11万円、残りは食事代と雑費です。当時はまだユーロではなく、ドイツマルクでした。
(夫は塾の講師バイトで稼ぎ、自分で行ったそうです。。エライなぁ・・・)

両親に行かせてもらったこのドイツ滞在、もうじき娘がその歳になろうとしていますが・・・・ああ・・行かせてあげられるのかな・・?甘ったれた学生時代・・・今からでも恩返ししたい気持ちです。・・・と、こんなこと書いてる今現在もまだ・・・・親に色々支えてもらってるわたしたち。
そろそろ本当の意味で大人にならないとな・・・この日記を書いたあと、そんな思いで今日はすごしていました。

by poomingxxx | 2007-10-16 12:26 | 信仰~こころの内側