雑記*

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きれいなお月見の晩でした。
普段使っていたデジカメがいよいよ故障してしまい、現在修理に出しています。
代わりにデジタルビデオのカメラ機能でお月さまを撮ってみました。
・・・・こちらのほうが綺麗に撮れるような(汗)・・・ああ、デジタル一眼レフ欲しいなぁ~・・

今夜は珍しく眠気が全くなく、何をしても眠くならない不思議な晩です。
さっきまで2時間、聖書を読みました。普段なら夜は23時を過ぎると眠くなるのに・・・・
聖書を読んでいたら、ふと教会に出入りするようになった頃のことを思い出しました。

あれはもう6年前・・・・。
さいたま市からここ青梅に引っ越してきたのが2002年の8月でした。
引越し後、9月に三女を入れる幼稚園を探し始めました。インターネットで調べると一番初めに出てきたのが「」から始まる「あけぼの幼稚園」でした。
住所が割りと近かったこと、上の二人の娘の通う予定の小学校のすぐそばだったことから、その幼稚園を見学することに・・・・。取りあえず夏休み中だけど、外からでもいいからどんな雰囲気の幼稚園か見てみよう・・・。

子ども3人を車に乗せて幼稚園へ。家からわずか5分足らずで着きました。
まずは教会の十字架が目に入りました。ふ~ん・・キリスト教なんだ・・・♪
実は私は高校がカトリック系の私立女子高だったので(宇都宮市にあります)キリスト教にはとても懐かしい気持ちになりました。
誰かいるのかなぁ~・・・中を覗き込んでいると男の人が私たちを見つけて出てきて下さいました。それが今の牧師様、そして幼稚園の園長先生だったのです。

初めて園舎を見た時から、不思議とここに来ることは決まっていたような気持ちでした。
その場で入園希望を申し出て、9月には三女が通い始めました。

日曜日は日曜学校があります。一応登園日となっていますが、強制ではありません。
でもほとんどの日曜日、特に用事がない日は三女が楽しそうだったので行きました。
行くと1時間後にまた迎えに来なければなりません。その1時間のバタバタが面倒だったので、私はじきに礼拝に出るようになりました。(子どもは日曜学校、大人はその時間は第一礼拝です)


牧師先生のメッセージを聞くうちに、次第に私の心は揺すぶられるようになりました。
「このままでいいのかな?」

それまで「常識」という自分の中にある基本の軸だけに頼っていた人生が、子育てが、本当はとても危うく、自己中心的なものに過ぎなかった、ということに気づいてしまったのでした。
一度気づいてしまうと、心が苦しく、礼拝に出るたびに自分の本当の姿にどうしても直面してしまうことが怖くて、次第に礼拝に出ること自体が苦しくて、日曜日には娘だけ教会に連れて行き、私はさよなら~~・・・という日々に変わっていきました。


それでも、一度心をノックされた私は、また礼拝へと導かれました。
それまで特に何か大きな問題があったわけではなく、ごく普通に、家族5人、仲良く暮らしていたのですが・・・・、それでも自分の中の愛の無さ、心の狭さ、不誠実、etc.を直視してしまったわたし。
もうそのままではいられませんでした。
そんな自分のことを、そのまま愛して下さり、いつも見守って下さってるお方がいる・・・大きな何かを感じて、次第に信仰生活に入っていきました。
そして5年前の10月19日、多摩川にて洗礼を受けたのです。


その後の私の生活・・・神様がいるからいつもいつも平安だったでしょうか・・・・否。
私はそれはそれは弱いんです。すぐに心が揺れてしまうし、何かあると誰かのせいにしたがるし、、、、
長女が2006年に心の病気になってから、イエス様がずっとずっとそばで私たち家族を守って下さいました。そのおかげで今も、一人も欠けることなく家族5人で暮らしています。
でも、そのうちの一人が欠けそうだった頃、私の信仰は情けないほどぐらぐらでした。
状況は日々悪化し、下の妹達にもたくさん悲しい思いをさせてしまい、そして暗くて長いトンネルの中で、ただ必死で息をしていた・・・・そんな状態でした。

一筋の細い信仰でぐらぐらしつつ、何にすがっても娘の状態がよくならない・・・と、どん底で思った時、残っていたのは「神様に委ねる」という選択肢だけでした。
それは娘との会話の中で私や夫が語ったことや、娘との暮らしの中で私たちの押し付けた生活習慣によって娘の状態が好転したことが一つとして無かった・・・・悲しいかなその事実だけが確かなものだったからです。

残されたのは、「全てを主に委ねて」 「祈って」 「待つ」 ・・・これだけでした。

そしてその応えはすぐにはいただけないものを思うこと。


さて、やっと娘のことを本当の意味で手放すことができたのは、なんとこの夏に入るちょっと前のこと・・・・。ギブアップです。神様。もうあとはよろしくお願いします!
心の底で本当にそう思ったのでしょうね・・・一気に肩の荷が下りたのです。
不思議な感覚でした。正に重荷を預けた・・・・そんな気持ちでした。
それまで何度も「預けましたよ」って言いながら、やっぱり自分の力に頼っていた部分があったのでしょう。この時の感覚は一生忘れないと思います。
そのとたんにふんわり、じりじりと神様の祝福に包まれたような・・・・あ、あの子は大丈夫だ・・・
そんな不思議な安心感に包まれたのでした。



その後の試験の合格、学校に再び通えるようになっていること・・・・




わたしの恵みはあなたにあなたに対して十分である。
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。

それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、私が弱い時にこそ、わたしは強いからである。

           (コリント人への第二の手紙  12章9-10節)




全てが今、順調なのではありません。
むしろ今はアップダウンの、ダウンにいるのだと感じます。
種々の障害・症状の中、本当なら学校に行くことすら辛い状況です。
それでも日々守られ、週に3日くらいは登校できていることに、心から感謝なんです。

娘の状態が、もしわたしに起こっていたら・・・・わたしは娘よりも慎重に、きっと学校なんて行けない気持ちになってると思います。
それほどの中、立ち上がる勇気を神様は与えて下さってるんですね。

娘を通して神様は多くのことを示して下さっています。
どうかそのことを見逃さず、ひとつひとつ大切に受け取ることができますように。
全ての出来事が主との出来事・・・・そのひとつひとつを主の訓練として喜んで受けることができますように。。。



まだまだ眠くありませんけど・・・明日の朝は次女のお弁当作りなのでそろそろ休みます。
長いつぶやきを読んで下さり、有難うございました。
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by poomingxxx | 2008-09-15 03:22 | 信仰~こころの内側